編集チーフHです
震災から5日目の3月15日、僕は取材で浦安地区へ。
大人が食料やガソリンの確保にほんろうされていたころ、ツイッターやミクシィなどの
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて被害の深刻さを知った若者たちが、
土砂むき出しの街にボランティアで駆けつけていました。
遠くは渋谷区や木更津から、本数不足で混み合う京葉線や東西線に乗って参加していた彼らに
復興後の〝きずな〟を見た気がします────。
被害の大きい舞浜や今川を歩けば、家並みはほこりで色あせ、
行き交う人々の表情も、マスクの下に隠れて分かりません。
今川地区では、車輪の半分が埋もれたままの 自転車を見かけた |
現地は、下水設備の機能が停止して長期化の様相。
また、新興住宅地では地元情報から孤立する世帯もあり、
保育園の閉鎖で働けない母親がいるなど、次々と新しい問題も浮き彫りになっていました。
そこに、復旧を手伝うべく駆けつけたのは、15日時点で
連日約250人のボランティア。「心は東北地方にあるものの、
まずは身近なピンチを救いたい」と話す葛西のフリーターや
「家も水が出ない。でも、じっとしていられない」と、
自転車でやって来た市内の女子大生をはじめ、
インターネットで事情を知った10代や20代が目立ちます。
連日約250人のボランティア。「心は東北地方にあるものの、
まずは身近なピンチを救いたい」と話す葛西のフリーターや
「家も水が出ない。でも、じっとしていられない」と、
自転車でやって来た市内の女子大生をはじめ、
インターネットで事情を知った10代や20代が目立ちます。
スコップを手に、現場へと向かう彼らの作業は地道。
泥で詰まった排水溝の回復、埋もれてしまったマンホールの掘り起こし、仮設トイレの組み立て、
小中学校の通学路確保などを、誰もが黙々とこなしていました。
舞浜で出会った男性は「このトラックで、今日も5回ほど泥を捨てに 行ったよ」と話す。災害5日後でも土砂はなくならない |
話を聞けば、1人で参加を決めた人もかなり多数。
初めての土地で、見知らぬ者同士が協力し、名前も知らない人のために汗を流す…………
そんな美しい光景が、砂風にくすむ街のいたる所で生まれていたことに、心が温まります。
作業から戻ったボランティアの靴は、泥が付いていても美しい |
灰色の土砂にまみれたスコップもまた、 無言で若者たちの善意を物語る |
「募集をかけて、すぐに反応してくれた行動力がうれしい。熱意を無駄にしないよう、
僕らは自治会や学校にアプローチし、住民が困っていることを積極的に聞き出したい」とは
現場で指揮にあたっていた浦安青年会議所の深作寛さん。
デジタルな生活を送る彼らが流していた、アナログの象徴とも言える〝汗〟。
その一粒一粒が教えてくれたこと────「私たちは他人、だけど、バラバラじゃない」。
災害から立ち直った日本で、のびのびと活躍する若者たちに期待したいものです。
僕らは自治会や学校にアプローチし、住民が困っていることを積極的に聞き出したい」とは
現場で指揮にあたっていた浦安青年会議所の深作寛さん。
デジタルな生活を送る彼らが流していた、アナログの象徴とも言える〝汗〟。
その一粒一粒が教えてくれたこと────「私たちは他人、だけど、バラバラじゃない」。
災害から立ち直った日本で、のびのびと活躍する若者たちに期待したいものです。
住民に向けて応援メッセージが届いている。浦安市の発表では、 16日時点で1604人がボランティアに参加。なお取材当日の 15日は正午過ぎで302人、子どもを連れた女性も見かけた |
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