こんにちは
編集部の、M ですっ!←気合い
本日5/28(金)。明日の週末から来週にかけて、台風が直撃するようですね。
おでかけされる方、くれぐれも気をつけていってらっしゃいませ!
キヲツケテネー>( ´ω`)人(´ω` )<オタガイニネー
さて本日、ニューファミリーが発行されましたが、今回のフロントには何と!
あの、横浜F・マリノスで活躍する小椋祥平選手が登場してくれましたよ!ヽ(*′ω`)ノ゙キャアアァ!!!!
小椋選手には高校時代の母校(修徳高等学校)での思い出、記憶に残っている事など、色々お答えていただきましたので、その様子をご紹介したいと思います。
ちょっとの時間でしたが、とても素敵な方でした、小椋選手( ´ω`)
もう、マリノスのファンになりましたね!(単純
小椋選手、セッティングなどを組んでくださった広報のI様、本当にありがとうございました!
今回の撮影は弊社営業ウーマンのYさんにお願いしました^^
周りにはトロフィーとか盾とか… 小椋選手と向き合い、(内心)物凄いプレッシャーの中 取材がスタート! |
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Q.修徳を選んだ理由は何ですか?
小椋選手(以下敬称略)「3つ上の兄が居て、修徳に入学してたんです。その兄が3年生の時に、冬に行われる全国高等学校サッカー選手権大会に出てまして。良いな、自分も修徳に行ったら出られるんじゃないかと思って入学したんです。結局3年間出られなかったんですけどね(笑」
M「お兄さんの影響だったんですね。お二人は小さい時からサッカーをされてたんですよね」
小椋「はい、やってましたね。小学校1年の頃じゃないですかね」
M「千葉の方ですよね」
小椋「はい、習志野の方のサッカーチームでした」
Q.どんな学校生活をしていましたか?
小椋「主に部活が中心だったんですけど、先生方が厳しくて、朝練やって、授業やって、どうしても眠くなるんですけ、寝かせてはくれなくて(笑)。結構厳しかったです、当たり前かもしれないですけど。もう、本当に大変で…!」
M「(笑)」
小椋「でも、それが良かったですね。学校によっては、特待生だった生徒とか部活だけやってれば良いってところもあると思うんですよ。でも、そういうわけじゃなかったですね、うちの学校は。みんなと同じ授業をしっかり受けて、そこからやりたいならサッカーをしっかりやれって感じだったんで」
M「へー」
小椋「サッカーばっかりやってたら、人として成長できなかったなって思います。厳しさは逆に良かったです。当時はありがたかったですね」
M「では、勉強面とかメンタル面とかも…」
小椋「そうですね、そういった面では、修徳に行って成長できたと思います」
母校について語る小椋選手。 高校時代の監督の事を話すときは 引き締まった表情に。 |
Q.先生に言われたことで、記憶に残っていることは?
小椋「よく言われていたのが、「サッカー選手である前に一人の人間としてあれ」。今ではこうしてうまくサッカー選手になれたんですけど、その言葉が残ってます。どんだけサッカー上手くても、人間としてダメならダメだと思うし、成長もできなかったと思う。その言葉を忘れずにいます」
M「現在ですと、例えばファンに対してとか、選手間でのコミュニケーションとかでも、その言葉は生きていますか?」
小椋「そうですね。そういう人たちがいて、自分がいられると思っていますよ」
Q.行事には参加していましたか? 思い出に残っている行事は?
小椋「試合がかぶったら出られなかったんですけれど、基本的に参加していました。マラソン大会とか体育祭とか」
M「行事で思い出に残っていることがあったら教えてください」
小椋「行事は、やっぱりマラソン大会ですね。自分は普段体を動かしているんですが、体を動かしていない生徒も、10kmぐらい走るんです」
M「結構走りますね…」
小椋「結構きついんです。そういうので、普段ガリ勉っぽい生徒がへろへろになりながら走ってて」
M「それはなりますよ、へろへろに(笑)」
小椋「それを見ているのが面白かったですね(笑)」
M「うわー(笑)」
小椋「勉強では勝てないんで、そういうところで勝てて。それが面白かったんですねー」
M「他に覚えている行事とか、学校生活のこととかはありますか?」
小椋「今はどうかわからないんですけれど、男女別学だったんですよ。敷地内に校舎が3つくらいあって、男子は男子の校舎、女子は女子の校舎で別れてました。教室に女子がいなかったんですよ」
M「ええ」
小椋「そうなると、男女交際も禁止。修学旅行も男ばっかり、つまらなくて(笑)」
M「むさい、みたいな?(笑)」
小椋「そうそう(笑)でも、内緒で付き合ったりね。今の奥さんも修徳なんですけど、つきあって、先生にばれないようにこそこそしながらね。楽しかったですね」
Q.憧れ、尊敬していた先生は?
小椋「サッカー部の監督ですね。今年優退なさったそうですけど。あと、コーチも。今考えると凄いと思いますね。当時は思ってなかったですけど(笑)」
M「きつい先生だなって?」
小椋「そうそう。でも卒業して見ると…もちろん、その人達にも家族がいたんですけど、家族よりも俺等と居る時間の方が全然長かったって考えると…それだけ自分たちの指導に生活をかけていたっていうのは、凄いなって思うようになりましたね」
M「先程の『サッカー選手である前に一人の人間としてあれ』という名言は…」
小椋「サッカー部の監督でしたね」
M「そんな監督は、やっぱり厳しかったんですか」
小椋「そうですね、赤点取ったらダメでした」
M「練習できなかったり?」
小椋「そうそう、今はないですけど、当時は坊主にさせられたり! そういうのがしょっちゅうありましたね、懐かしいなぁ」
Q.母校自慢を聞いてみたい!
M「他の選手とかと、母校の話はされますか?」
小椋「兵藤の国見の話(※)は聞きますね。上下関係厳しかったりとか。あとはあまりしないですね」
M「そうですか。例えば、今考えたらうちの学校こんなところが凄かった、自慢できるかな、みたいなところがあったら教えてください」
小椋「…そうですねー…先生達が基本的に結構熱い先生が多いんです。勝手な想像かもしれませんが、公立とかだったらそこまで面倒みてもらえないかもしれないところも結構向き合ってくれて。悪い奴らとかにも『お前等ふざけんじゃねーぞ!』くらいな勢いで、真剣にぶつかってきてくれる、そんな先生が多かったですね」
M「ご自身にも、先生がぶつかってきてくれるような時ってありましたか?」
小椋「ええ、ありました(笑)。でも、そういう体験があったからこそ、卒業してからもたまにちょっと遊びに行ったりとかしてます」
Q.そんな高校時代を振り返って、自分ってどんな子どもでしたか?
小椋「高校時代はずっと坊主で(笑)。何にでも一生懸命でしたね。勉強、部活、恋愛」
M「ああ…なんか本当に充実してますね!いいなぁ」
思い出話に花が咲きました(´∀`) |
Q.高校時代にこんな事をしていたからこそ、今の自分があると言える事は?
小椋「辛いときに我慢して、我慢できたからこそ今の自分がある。投げ出さないで最後までやりきれたお陰ですね」
M「それはやっぱり、周りの先生とか、友人とかが支えてくれて?」
小椋「そうですね」
M「練習ばかりで、きつかったと思うんですけど」
小椋「ええ、朝早かったり、夜遅かったり、そんな生活ばっかりだったので、良く続けられたなって思います。それが自信になって、今の自分があると思うんです」
Q.最後に、夢を追いかける子ども達に向け、サッカー経験を通してのアドバイスをどうぞ
小椋「スポーツにしろ勉強にしろ、きつい、辛いからって途中で投げ出さないで欲しいです。僕自身も経験しましたが、最後までやりきるってことが大事だと思います」
Q.今後の抱負は
小椋「チームはリーグ戦優勝が目標、個人的には日本代表を目指して頑張っていきたいと思います!」
M「本日はありがとうございました!!」
Mがわがままを言い、ツーショットを いただきました!! 。:+.゜ヽ(*・∀・)ノ゙。:+.゜ 見てください、Mの、この、嬉しそうな、顔…! |
※横浜F・マリノスの兵藤慎剛選手のこと。長崎県の名門国見高等学校に通っていた